操りの糸を断ち切れ!自分の人生を自分の意志で生きていくために必要な心構えとは?

マインド

https://tenkafubu244.com/wp-content/uploads/2021/01/4a62a8d8e702435277bf3cf2e42d1198-1.png
MONONOFU

悔いのない人生を!MONONOFUです。

本日は、「日々の行動」とうテーマで話してみたいと思います。

理想論だと言われればそれまでなのですが、自分が理解できる範囲内で物事を判断していても、そこから先、見える世界は自分の想定内を超えることはありません。

こうした表題の記事に目がいくあなたですから、今現在、何かしら現状を変えたい気持ちがあるのではないでしょうか?
そう思っている今、チャンスです。

是非これを機会に理想論を理想で終わらせることなく、現実の世界に落とし込む一歩を踏み出してみましょう。
「どうせ・・」なんて思わずに、一度読んでみて下さい。

この出会いがあなたの何かを変えるきっかけになるかもしれません。

では参りましょう。

>>>出会いとは特別な日の、特別なものではない

Contents

あなたは誰に操られているのか?

操作 操り

僕達は朝目覚めてから夜眠るまで、食事、通勤通学、仕事、プライベートなど様々な行動を行っています。
そして誰もがそうした日常における行動全てを「自分の意志でおこなっている」と当たり前に思っています。

でもそれって本当でしょうか?

本当に自分の中から生まれた意志、自分発信で起こされた行動だと言えるのでしょうか?

本能と反応

お腹が空いた、眠くなったなど、本能に則した行動、つまり頭で考えなくても良いもの、脊髄反射的な行動については、自分発信と言えるかもしれません。

では本能、いわゆる生存とは直接関わりのない行動についてはどうでしょう。

身近な例えで言えば「あいさつ」。
あなたは「相手が挨拶をしてくる、だから挨拶を返す」という行為をしていないでしょうか?

もししているという場合、あなたが挨拶を返したという行為は、相手が挨拶をしてきた行為に端を発していますよね。
つまり、相手のアクションに対してリアクションをしたことになります。

人に会ったら挨拶をするという一般的な常識から言うのであれば、自分から先にしても良かったはずです。
なのに自ら動きだすことではなく、相手の動きに合わせ行動を促される方を選択してしまったのです。

植え付けられた感情に支配される日々

実はこうしたことは日常の至る所で起こっています。
基本的に自身が起こす行動は、何かしらの目的に対し、それを達成する為に行われています。

お腹が空くから食事をするし、目的地に行くために車も運転する、仕事だって生きていくための糧を得るためであったり、やりがいのためであったりします。

そしてそれは人間関係もしかり。
人間関係の場合は目的の他にも、各自こうであって欲しいと思う自分にとっての理想の形があるでしょう。

にも関わらず何故かそう上手くいかないのが人間関係で、いつの時代もこの手の悩みが尽きることはありません。
本来であれば、そんな人間関係に悩まむことのない世界が自分の望む世界であり、それこそが目指す世界のはずです。
であるのならば、一心不乱にそこへ辿り着くための行動のみに徹すれば良いと思うのですが、何故かそれが出来ないでいるのです。

  • あいつが嫌い
  • このイライラを何処かにぶつけたい。

こうした様々な負の感情に心を支配され、なかなかそこから抜け出すことが出来ません。

そしてそれは長く続けば続くほど慢性化し、フッと芽生えただけだったその感情は、いつしか自身の固定観念として深く心にへばり付いていくのです。

自分の意思が求める世界

あなたはどんな人生を送りたいですか?
どんな日々であれば幸せですか?

と問われれば、「負の感情を抱く日々」と答える人はまずいないでしょう。
持ちたくない感情なのにそれをずっと持って生きるということは、あなたが望むことではないはずです。

もし自身が望む世界を手に入れたいと本気で思っているのならば、一度この辺りで考え方を少し変えてみませんか?

見返りを求める生き方からの脱却

脱出 脱却

では具体的に何をすればよいのでしょうか?

結論からいえば、本能のように行動するのが良いと思います。
もう少し付け加えると、最適解を見つけ、本能のように実行していくということです。

これだけでは少し「」な感じで解りにくいと思いますので、前述した嫌いな人のことを例に上げて説明します。

仮に嫌いな人に何か嫌なことをされたとします。
今まであれば、嫌いな相手の不快な行為に腹を立て、「ムカつく💢」と怒り狂っていたことでしょう。

その怒りを親しい友人にでも愚痴って収まる程度のものであればそれで良いのですが、相手に対する感情の縺れの根が深ければ深い程その怒りは中々おさまらず、心はいつまでもモヤモヤしてしまいます。

何なら一日中そのことが頭の中にあり、その日に起こる全てのことに身が入らなくなってしまうことだってあります。

ここが一呼吸あけて、考えるポイントです。

あなたは

一日中イライラして関係のない周りの人間にまで八つ当たりする1日を望んでいるのでしょうか?

答えはもちろん NO! でしょう。
しかし現実にはイライラしてすごく不快な気分でいる自分がいます。

この自分が望んでもいない状態にある事に気づいた時、まずは「自分が望んでいないことはまずやめてみる」という決断を下すことです。

お腹が空いたらから食事をする、眠くなったから眠る、そんな本能的な行動と同じように、嫌だと感じることは止める、自分が望む世界に必要でないものは全て自分から遠ざけるようにするのです。

相手のアクション次第で自分のリアクションを変える、そんな見返りを求めるような行為を行動のきっかけにしてはいけません。
相手を行動のきっかけにするのではなく、自身の中にある欲求に素直に従う心を行動の原動力にしていくのです。

自分自身のことですから、自分次第で何とでも出来るはずです。

理屈的には・・。

操り人形の紐を切れ!

解き放つ 解放

こういうことを言うと、
「自分が望んでいなくても相手があることだからどうしようもない、仕方がないんだ」
という答えが必ず返ってきます。

確かに僕だって嫌なことをされたらとても腹が立つし、「この野郎💢」と激しく、とても激しく思います。
なのでそう思うこと自体を否定するつもりは全くありません。

そうした自然に湧いてくる感情は大切にするべきだし、裸の自分の心には嘘をつかないほうが健康的です。
ただその湧き上がった感情をその後どう処理するかがとても重要になります。

その感情にズルズル引きずられてしまうのか、自分にとって何が重要かを考えて次の行動へ結びつけるのか、どちらを選択するかによって運命の 分かれ道となるでしょう。

もう一度振り返ってみましょう。
このイラつく感情は誰によってもたらされたものだったでしょうか?
そしてそれは自分の望むことだったのでしょうか?

そうです。
この感情の発端は嫌いな相手が自分にとって不快な行為をしたことに端を発しています。
そしてそれによって植え付けられたこの感情は自分が望むものではありません。

もしここでその感情に支配されるという事は、望まないことを嫌いな相手によってさせられているということ、つまりは自分の心が嫌いな相手によって支配されているのと同じ事です。

相手によって着火された怒りの炎に、自分だけがその火の後始末にてんやわんやしている状況です。

望む世界を見つめ、その最短ルートを進め

理想 ルート

先ほども言ったように、はじめに湧き上がる感情これは自分ではどうしようもありません。
初めに怒りと言う感情に放火のごとく火をつけられたのは事実ですから、それはそのままで受け入れるべきです。

しかしそこで、その火を大きく育てることがあなたの望みなのかよく考えてください。
そうでないのであればまず、相手にされた行為を「相手」と「された行為」に切り離し、その行為の本質だけに着目してみましょう。

その結果、もしその行為の中に自身にとって必要と思われるものがあるのであれば吸収し、単なる嫌がらせか無価値なものと判断したのならば、もうそれ以上そのことに関わるのは無駄です。

感情には自分がこうでありたいと思う世界があり、仕事であればその業務が達成すべき目的があります。
そこに到達するために必要の無いものはこの際一切捨て去ってみましょう。

もはやそうしたものに自分の貴重な命の時間を割くことは金輪際一切止め、全てを捨て去る覚悟をもつのです。

不快な感情を連れてくるものは相手があることですから避けることが難しく、というより不可能でしょう。
であるとするならば、それ自体を考える事が無駄なのでやめましょう。

それは必ず来るものとし、また来た時にどのように対処するのか、その方法に注力するべきです。
きたものをどう処理するのかは自分次第でどうにでもなることです。

初めから完璧に処理しきれなかったとしてもかまいません。
何度も言いますがそういったことに対して、正面から向き合おうとする心構えが大切なのです。

一度着いた火に、繰り返し繰り返し油を注いでいるのは相手ではなく、実は自分であることに気づきましょう。

考えても答えの出ないものを繰り返し繰り返し頭の中で考える事は、まさに相手によって放火され燃える火事に、自ら油を注いでいる行為に見えます。

例え一度火をつけられたとしても、自らそれが小さなうちに消化してしまえばその後いくら相手が油を注いできたとしてもその火が大きくなる事はありません。

本日のまとめ

https://tenkafubu244.com/wp-content/uploads/2021/01/4a62a8d8e702435277bf3cf2e42d1198-1.png
MONONOFU

今回もまた難しいお話しでしたね。
「見返りを求める行動」と言われると、確かにそういう部分が多々あったように思います。

「挨拶しても返してこないからしない」であったり、「相手が自分を受け入れないから自分も受け入れない」など、相手に基準をおいて自分の行動を決めていました。

でも実社会において、相手を意識せずに自分の行動を決めていくのはかなり難易度が高いとおもうのですが・・

https://tenkafubu244.com/wp-content/uploads/2021/01/5d612652dbf69eeea818aab99faff902.jpg
信長公

で、あるか。
何度も言うが、自分の人生において何に価値を置くかを決めるのは人それぞれであり、「成長」や「成功」が必ずしも皆に必要であるとは思わぬ。
故に今回の話しにおいても、何かしら現状に不満を抱き、それを変えたいと願う者のみが考えるべき話しである。

であるならば、その願いを成就するためには「難しそう」ではなく、「何か分からないがまずはやってみる」という心持ちが必要じゃ。
己が考えうる範囲内でやってきた結果が「不満のある現状」なのであれば、己が考え得ないことをやらねばならぬことは必然であろう?

何事もそうであるが、秘密の呪文がありそれを唱えれば全ての願いが叶うということは、現世においては一切ない。
全ての変革には、それ相応の労力なり痛みが伴うものじゃ。

それにたじろいでおったのでは、何も変わらぬ。
そうそうに諦めたほうが、余計な悩みを持たなくてすむというものよ。

https://tenkafubu244.com/wp-content/uploads/2021/01/4a62a8d8e702435277bf3cf2e42d1198-1.png
MONONOFU

諦めませんよ!!
ただ本当に難しいなと感じたのでそう言ったまでです。

それこそ、こうした考えへの出会いが意識を変化させるきっかけになるかもしれないんですから、そう突き放す言い方はどうかと思いますよ。

https://tenkafubu244.com/wp-content/uploads/2021/01/5d612652dbf69eeea818aab99faff902.jpg
信長公

そうムキになるでない。
「貴様には無理じゃから諦めろ」と言うたつもりはないが、そう聞こえたなら許せ。

しかしワシが言うておるのは、それが「難しいか、難しくないか」ではなく、自分の目指す世界への到達にそれが「必要か、必要ではないのか」その選択基準を持つことが必要だということである。

まず初めにそれが自分にとって「出来そうか、出来なさそうか」という判断基準は、現状の貴様のレベルで出来る範囲内のことであり、同じ世界の中で同じことを繰り返し行っていたとしても、現状維持こそすれ決してことは前へは進んではいかぬ。

故にまず行うべきは、それが自分の求める世界へ到達するに、「必要なのか必要ではないのか」の判断なのである。

「誰が」であったり、「〇〇だから」といった条件はこの際必要ではない。
単純にそれが必要か、そうではないかだけである。

そう容易くいかぬことは百も承知。
しかし出来る出来ぬに関わらず、そうした目指すべき世界にとって必要なことのみに注力していくことが今の自分では辿り着けない世界の扉を開く一歩となるのであり、やがて今では想像もつかないような景色を己に見せてくれるのじゃ。

まずは自分が求める世界がどのようなものなのか想いを巡らせてみるがよい。
その上で、その世界に辿り着くために己の行動が必要なのか必要ではないのか、考え方、思い、感情それが必要なのか必要ではないのか考えてみよ。

常識、ルール、凝り固まった観念、そうした執着から自らを解き放ち、真っ新な目で見てみよ。
複雑なように見える世界も、見方を変えれば実にシンプルなものぞ。

オーディオブックという新しい読書の習慣を身につけるだけで、 あなたが今、無駄にしているたくさんのスキマ時間が読書時間に変わります!

MONONOFU

MONONOFUです。 悔いのない人生を目指して、日々奮闘しています。 どうなったら悔いが残らないのか? それすらまだ見えていない「今」を発信しているブログです。

関連記事

特集記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP
CLOSE