
悔いのない人生を!MONONOFUです。
何か新しいことを始めてみようという時、もしくは仕事などで半ば強制的に始めなくてはならない時、やる気MAXオリックス!になれますか?
僕はなりません。どちらかといえば不安の方が大きくなります。
「やってみたい気持ち」もあるけど、「やりたくない気持ち」もあるし・・。
ことの時、「やりたくない」という気持ちの理由にはどういったものがあるでしょうか?
- 失敗するのが怖い・嫌だ
- 失敗して恥をかきたくない
- 面倒くさい
- そこまで必要性を感じていない
面倒くさいと感じたり、必要性を感じていないということに関しては、また別の機会に話すとして、今日は「失敗が怖い」「失敗をして恥をかきたくない」と感じてしまうあなたへ、どうしたらその気持が少しでも楽になるのか、こう考えてみてはどうですか?というご提案をさせていただきます。
速攻解決!はしませんが、考え方の一つとして頭の片隅にでもいれておけば、今までと違ったアングルから物事を見れると思います。
見方が変われば、「考えてもしょうがないものに時間を使っていたな」と感じ、また一歩前へ進むきっかけとなります。
では参りましょう。
Contents
失敗を恐れる理由の本当の正体は?

何か今までとは違う新しいことに挑戦したり、取組むということは、多くの人が多少なりとも不安を抱えます。
では、その不安は具体的にはどういった不安でしょうか?
例によって、失敗した時の何が嫌だと感じるのかを具体的に一つ一つ紙に書き出してみましょう。
#頭の中を視覚化することは、問題解決の一番の近道
- 失敗して余計な負担を背負いたくない
- 他人に自分を値踏みされたくない
- 自分よりランクが下だと思っている人間に批判されるのが嫌だ
- 影で「あーだこーだ」と言われたくない
どうでしたか?
僕の場合、随分と他人の目を気にしているんだなと改めて気付かされます。
失敗することで、新たに余計な不安や負担を背負うことも確かに嫌ですが、周りからの目が自分の挑戦を妨げる大きな要因であると言えます。
ついつい他人の目を気にしてしまうが・・
他人にどう思われるか?
気にしないのが一番ですが、とはいえ、ついつい気になってしまうものです。
特に、やりたくもないけど仕事だからとやったあげく、自分に対する批判的なことを聞こうものなら、
- お前に何が分かるんだ
- お前ごときに、自分がどんな気持ちでこれをやったか分かるのか💢
- 部外者が好き放題言いやがって💢
- やったこともないくせに💢
と、怒りしか湧いてきません。
#冷静になれば、意見として聞き入れられることもありますよ
特に「お前だけには言われたくない」という相手に言われた時の気持ちと言ったら・・。
「?」
「お前だけには・・」
そうです、「お前だけには」と感じている時点で、自分も何かしら相手を値踏みしているんですよね。
気づかないうちに、普段から。
結局、自分も含めて人は、何かをしていようが、していなかろうが、常に他人を何かしら評価(値踏み)しているし、されているんです。
例えそれが真実ではなかったとしても。
となれば、どっちみち自分の意志とは関係なく値踏みされるのですから、自分が思ったようにやってみた方が良くないですか?
・自分が「良い」と思ってすることを、他人も「良い」と思う
・他人が、「良い」と思っていることをした結果、他人が「良い」と思う
一見同じような、他人が良いと思うことも、自分の価値基準が他人の需要も満たすことで得られる評価と、他人の価値基準の中に生き、他人を満たすことで得られる評価は全くの別物です。
失敗して自分が失うものとは何か?
普段から周りの評価が高い人はそうではない人と比べ、新しいことへ挑戦することへのハードルが高くなっている場合もあります。
- 失敗したら評価が下がるかもしれない
- 失敗したら信用を失うかもしれない
- 失敗したら投下したした時間が無駄になる
ここでも、ついつい気にしているのは周りからの目です。
そこに自分がいません。
他人が持つ自分に対するイメージ(当たっているものもあれば、全然違うものある)は良ければそれにこしたことはありませんが、中身のない虚構にそんなに固執する必要はありません。
仮に挑戦が失敗したとして、その行動をすることが失敗に繋がると知れたことはプラスにはならないのでしょうか?
挑戦しなかったとしたら、その行動が良いのか悪いのかの判断ができたのでしょうか?
新たなことに挑戦するもしないも、最後は自分の決断です。
ただ、失敗を恐れるあまり挑戦しないと選択した場合、「何故しないことを選択したのか?」と問われた場合、「勇気がなかったから」とあなたは言えますか?
それとも何かそれらしい言い訳を考えるのでしょうか。
所詮、他人からの評価なんて水物(みずもの)

相手にとって、都合が良ければ評価され、都合が悪ければ批判されます。
多くを望まず、他人に期待しない
周りからの評価が気になる人は、より多くの人に認められたいという気持ちが強いのでしょう。
それ自体悪いことでは有りませんが、そこに執着が生まれるとかえって自分を苦しめる原因となります。
この世に、万人に認められる人も、物も存在しません。
まずはこの事実をしっかりと意識すべきです。
そのうえで、自分がどうしたいのかを一度問うてみましょう。
・自分は、自分の心を満たす事をしたいのか?
・自分は、他人から自分の心を満たして欲しいのか?
前者の場合、自分の在るべき心の状態を目指し、他人の評価を気にせず、自身の価値基準に基づいて行動していれば、いずれ思考と行動が徐々に一致し、そうなった場合、心の安寧は永遠に続くものとなるでしょう。
逆に後者の場合、ただでさえ移り気な人の心に自分の安寧を委ねなければならず、不安定なものを常に気にするはめになり、これまた永遠に真の安寧は得ることが出来ないでしょう。
他人に評価基準を預けることは、ある意味でとても楽なことです。
批判されることも無いのですから。
そういった意味で言えば、自分の価値基準をさらけ出すことは、とても勇気のいることですが、そもそも勇気を持たないといけないこと自体が、他人の目を気にして、自ら自分を疑っているとも言えるでしょう。
全てのことは、「今現在は」ということ
自分が示したものが、仮に間違った価値基準、判断であったとしても、それは「今の自分にとっては正解」だったというこです。
今後新たな知識、判断基準を手に入れれば、「過去の判断が間違っていた」ということもあるでしょうし、そうなったら、修正する。
ただそれだけのことです。
考えてみてください。
- この世の中に、100%再現性のあることなんてあるでしょうか?
- 誰しもが、同じ様に行動したら100%同じ結果を得られることができる。そんなものが存在するでしょうか?
- 「1➕1」は必ず「2」だと言えるでしょうか?
同じように見える「1➕1」も 「1.1➕1.1=2.2」を四捨五入した「2」かもしれません。
人によって生まれてから今に至るまで、歩んできた環境は皆違うはずです。
生まれ持った才能、性格、全て違います。
今現在、自分の中にある正解、それに正直に生きていけば良いだけです。
周りから批判されようが、それは周り、他人の中の正解であって、絶対の正解ではありません。
確かに、組織に所属している以上、数や権力に従わなければならないこともあるでしょう。
それでも、その判断、答えは絶対のものではありません。
組織として活動するために、より正解だと判断されたものであり、絶対の価値観ではありません。
組織においても、あるいは自分においても、あくまで今の時点で、組織が、自分が、今ベストだと思う「解」であり、これが永遠であることもありません。
普遍的な、神が定めし「解」ではないということです。
この世に絶対があるとするならば
この世に唯一100%再現性のあるモノがあるとするならば、人は生まれたら必ずいつか死ぬということくらいでしょう。
それ以外の世の中に在るすべての「解」は、自分もしくは他人によって、現在、正解とされているというだけのものです。
今日という日は昨日の経験の上に成り立っています。
また、明日は今日の経験の上に成り立っています。
今日は昨日までに感じた事、学んだ事を含んで自分の思考を生み出しています。
明日は、今日を生きて感じたこと、学んだことを含んだ思考になっています。
何も変わらないということはありません。常に何かを思い、考えた結果が「今」なのですから。
昨日と今日は違います
もっと言えばその日の中でも、午前と午後は違います。
一見同じように変化が無いと感じていたとしても、僕たちは1秒毎に変わっているのです。
「アハ体験」の画像も、何も変わっていないように見えても、ある一定の時間が経つと全く違う画像になっていますよね。
僕たちの日常も同じで、大きな変化には誰でも気づきますが、日々少しづつ少しづつ思い、考え、経験していることは、あたかも「アハ体験」の画像のように自分を変化させていきます。
そうした変化に伴って、自分の中の正解もおのずと変化していくのは当たり前のことでしょう。
そしてそれは変化してみて初めてそう思えるのです。
知らなかったことを知って、新たな判断基準を手に入れて初めてそう思うのです。
経験したことのない事を経験して初めてそう思うのです。
今と違うステージに行けば、当然見える景色も違う

そんなことも知らないの!?は恥ずかしいか?
知らなかった事を新たに知ることは、自分の中に新たな判断基準を持つことになります。
新しいことを知るということは、今、「必要となったから知った」のであり、今まで知らなかったと言うことは、ただ単に「知らなかったとしても不都合がなかった」ということです。
世の中には「知っておくべきこと」、「知っておいたほうが良いこと」はあります。
ただしそれは、人によって違います。
万人が知っておかなければならないことなど、この世には存在しません。
知ることで自分にプラスになることであれば、その時に学んで知れば良いだけです。
この場合でも、組織に所属しているならば「知っておくべき、習得すべき知識」はあるでしょうが、それとて必要であるならば学べば良いだけです。
経験年数や業務内容によって、覚える時がきたら覚えればよいだけで、ちょっと受身的な仕事スタイルではありますが、もっともっと突き抜けたい人は、そう思う今が必要な時であるのですから、遠慮せずに学べばよいのです。
この時、一つ注意点をあげるのであれば、周りは自分と同じでは無いということです。
自分にとって必要な学び、知識が周りにとっても必要とはかぎりません。
こうした仕事への取組み方、向き合い方にストレスを抱える事もあるでしょう。
その場合も、「他人を変えることは出来ない」ということは頭に入れておきましょう。
もちろん、自分の関わり方で、周りの意識変化が生まれ、変わることはあるでしょう。
ただしそれは、周りが変わることを自ら望んだ結果であり、決して自分が変えたのではありません。
ゆえにそうしたことに対して、納得しているのであればよいのですが、仮にそうでないのであれば、自分と同じような意識を持っている人が多い世界へ、環境を変えたほうが無駄なストレスを抱えなくてすむでしょう。
考えて、悩んでも解決へのロードマップが見えないことに時間を使うのは無駄以外のなにものでもありません。
そんなものはさっさと捨てて、自分事に集中した方が良いのです。
毎日は選択の連続で、常にアップデートされていく

僕達は、朝目覚めて、夜寝るまで、常に問いの中で自分が正解だと思う方を選択して生きています。
一人の例外もなく。
「もう起きようか」、から始まり、服を選び、食事をし、日常の生活をして、「そろそろ寝ようか」と思うまで、常に自分の心の声に反応して、判断して生きています。
時には、失敗したな・・と思うこともあるでしょう。
ラーメンが美味しい店に行き、知らずにチャーハンを頼んでしまい、ラーメンにすれば良かった・・と涙を飲んだり。
でも次にその店に行った時は必ずラーメンを頼むはずです。
そして周りに言うんです。
この店に来たら、「ラーメンの一択でしょ」と。
日常の些細な事は、誰もが出来るんです。
もっと言うならば、まるで呼吸するように当たり前におこなっているんです。
トライ(ラーメン屋にいく)して、エラー(チャーハンを注文)があったら修正する。
知らなかったことを知り、自分の新たな判断基準(ラーメン一択)を手に入れる。
もうこれしかありません。
この世の中に絶対の正解が無い以上、その正解は自分で創るしかありません。
間違っていたと分かったら、爆速で修正する。
自分の中にある「解」に、他人との優劣をつけているのは自分です。
「今の自分」以上の「解」は、逆立ちしたって出てきません。
今あるその「解」を持って挑戦し、新たな気づきを得て、さらなる「解」を得ましょう。
常に新たな「解」を求めている限り、それは挑戦であり、その歩みを止めた時に初めて失敗と呼ぶのですから。

新しい事を始める時は、誰でも不安と期待が入り乱れるものじゃ。
その挑戦が大きければ大きい程、背負う責任が大きければ大きい程、余計に逃げ出しくなるのも分かる。
予は桶狭間がそうであった。
ただ、そうした不安を抱えた時、それが無くなるような魔法は絶対にない。
唯一、その不安を和らげるものがあるとしたら、行動と自分への信頼じゃ。
行動は自分への信頼を生み、その信頼は次の行動へと繋がる。
まぁ予の時代のように、失敗したら命まで取られる時代ではないのじゃ。
焦らず、まずは小さなことからでも一歩前へ進んでみてはどうじゃ。

「行動は自分への信頼を生み、その信頼は次の行動へと繋がる。」
熱きお言葉。涙で前が見えませぬ・・(泣)






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