悔いのない人生を!MONONOFUです。
さて、今日はここを押さえていないと、「せっかく投下した命の時間が無駄になるかもしれない」 というテーマで話したいと思います。
「こんなに頑張っているのに、周りからの評価が低い」と感じている方は、是非一度、考えてみるべき大切な内容となっています。

如何いたした?
浮かぬ顔をしておるの

何だか最近、仕事量と給料が見合ってないんじゃないかと思うんですよね。
毎日残業して、一生懸命に頑張っているのに・・・こんなんじゃ、やってられないっす。
Contents
お金は「提供した労働への対価」ではなく、「提供した価値への対価」

あなたは今、自分の給料(収入)に満足していますか?
・毎日毎日、やりたくもない事を我慢してやってるんだし、もっと給料を貰ってもいいはずだ
・あいつより、俺(私)の方が仕事してるのに、給料同じって何だよ
・こんなに朝から晩まで働いて、こんな薄給じゃやってられない
・なんで、私よりあの人の評価の方が高いんだよ
って思っていませんか?
僕は思っていました。 すいません。今でも思ってます。(笑)
でも、どうなんでしょう?
世の中のお金持ちって、頑張って嫌なことを朝から晩まで延々とやっていた人達なんでしょうか?
自分の収入を上げるには、そうするしかないのでしょうか?
「労働時間」 = 「お金」 ではない!
ちょっとイメージしてみてください。
どうしてもラーメンが食べたくなったあなたは、美味しいと評判のラーメン店に1時間も並んで入り、ようやくラーメンを注文しました。
数分後、あなたの目の前に置かれたのはラーメンではなく・・「チャーハン」

すいません。ラーメン頼んだんですけど(●`ε´●)

えっ?そうなんですか?
それはすいません。でも、そのチャーハンも一生懸命時間をかけて作ったんで、それで勘弁してください
こんな時、あなただったら、
「そうだな。一生懸命作ったんだから、しょうがないな」
と納得できますか?
お金は、他者へ提供した価値への対価
通常、ラーメンが食べたいあなたに対し、店がラーメンを提供したことに対してあなたは料金を支払うはずです。
数ヶ月待ちの超人気店であれば、定価の倍、3倍払ってでも食べたい人もいるでしょう。
これは、ラーメンを欲するあなた(他者の需要)に対し、店がラーメンを提供(価値の提供)したことに対してお金が支払われていることになります。
他者の需要 = 提供した価値 ⇒ 対価(お金)
ラーメンを食べたいあなたに、チャーハンをだしたところでお金を払う気にもならない。
「じゃ、いいです」と店を出ていくでしょう。
あなたが望む(需要)ものではないからです。
一生懸命には価値がない
誤解を恐れずにいってしまえば、一生懸命には価値はありません。
あなたが一生懸命であろうが怠けていようが、他人にはどうでもよいことです。
もちろん、一生懸命に何かをする行為は素晴らしいことです。
ただ、あなたが提供するものに対する価値基準として、闇雲に「一生懸命した」だけでは、お金にはならない(他者からの対価は得られない)のです
いくら自分の命の時間を投下して提供したものでも、相手にとって望むものでなければ、1円の価値もないのです。
逆に、何の努力もしていなかったり、時間をかけていないものでも、相手にとって価値があれば、お金になることがあります。
例えば、子供の頃に買ってもらって、捨てようと思っていたおもちゃ、メルカリなどのネットショップ・サービスを思い浮かべてください。
あなたにとって価値がないものでも、それを必要としている他の誰かにとって価値があれば、それは一瞬でお金になるのです。
つまり、お金とは
「提供した労働への対価」ではなくて、「提供した価値への対価」
といえます。
そして、これはお金以外のことにも当てはまります。
あなたの行動は目的にあっているか?

例えば、英会話で考えてみましょう。
どうしても英語をペラペラに話せるようになりたいあなた。
頑張って毎日毎日、単語を覚え続ける。一日5時間、ひたすら単語だけ。
さて、これで1年後ペラペラと話せるようになりますか?
答えは、
「なりません」
知ってる単語量は増えるので、単語の羅列である程度は通じるようになるかもしれませんが・・
正しい方法が最短であなたを成功へと導く
ではこの場合どうすれば良いかというと、思い切って1年間海外で生活し、無理矢理でも英語を使わざるを得ないような環境を作ってしまったほうが一気に話せるようになるはずです。
要するに、適切な方法(価値)を適切に実行(提供)することが、あなたの成功(対価)を生むのです。
いくら大量の時間をかけても、そのアプローチ(提供した価値)が間違っていれば、望む結果(対価)は得られないのです。
まとめ
・お金は「提供した労働への対価」ではなくて、「提供した価値への対価」
・結果を出したい(評価を得たい)のであれば、アプローチの仕方(提供するものの価値)をちゃんと考えた方が良い

僕は頑張っていた気になっていただけなんですね・・。

自分自身で頑張ったと思うこと自体は何も悪いことではない。
ただ、「自分が頑張った」ということと、「他人が求めているもの」とは分けて考えなければいけないのじゃ。
「自分は頑張った」これは自分自身が生み出した価値観、いわば自分の中の、誰にも変えられない自分だけの判断基準であり、絶対的な価値と言える。
対して他人が求めているものとは、相対する相手がいて初めて生まれる価値観、つまり自分以外の誰かと比較することで生じる相対的な価値なのじゃ。
まずはこの世の中、そなたもワシも好むと好まざると相対的な価値観で見られ評価されておるという事実を受け入れなければならぬ。
そのうえで、そのことをどう判断するかは自分自身次第じゃ。
もっと周りからの評価が欲しければ、相対的な価値を上げるべくその比較対象となっているものを上回れるようにすれば良い。
反対に、周りからの評価など気にせず自分の想いや理想を追い求めたいのであれば、その想いに忠実になれば良い。
自分だけの絶対的な価値といえども、突き抜ければおのずと相対的な価値も高まるであろうからのぅ。
いずれにせよ、自分の心が何を欲しているのか。そこに耳を傾け、その声に従ってみることじゃ。






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