
悔いのない人生を!MONONOFUです。
以前の記事でも同様のテーマで書いたことがあるのですが、とても大切なことだと改めて感じたことがありますので、今回はそのことについて共有できたらなと思います。
改めてあなたにお伝えしたいこと。
それは「将来も大切だけれど、今この時を悔いのないように生きることがもっと大切」ということです。
「将来・生きる」というと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、要は「今を楽しんでいますか?」「今の過ごし方に、ちゃんと納得感を持っていますか?」ということです。
こうした記事に興味を持ってくれているあなたは、おそらく「より良い明日」「幸せな未来」を目指して今日を生きている人なんだと思います。
ただ惰性で生きるという選択肢もあるなかで、あれやこれやと悩みながら、今より少しでも成長した自分を目指して日々を過ごしているわけですから、何とか成果を上げてその想いを遂げたいのが人情です。
当然うまくいく事ばかりではありませんし、そうなれば気ばかりが焦りその想いが空回りして更に焦る。
そんな事が長く続くと、「一体何のためにこんな事しているんだろう?」と、自分のしていることがとても無意味なものに思えてくる瞬間があります。
でもね、ここでちょっと考えてみてください。
たしかに、目指すところにゴールするということは大事です。
大事なんですが、ゴールすることばかりに気を取られすぎるあまり、そこにたどり着くまでのプロセス、つまり「日々の生活や、そこにある感情」をおろそかにしてしまってはいないでしょうか?
目的を達成することで、あなたは望んだものを得ることが出来るかもしれません。
しかしその目的達成の裏で更に多くのものを失っていたとしたら、それは本当の意味で目的が達成されたと言えるのでしょうか?
毎日頑張っているあなただからこそ、たまには立ち止まって、「自分が何のために頑張っているのか、何を実現したいのか」を一緒に見つめ直して見ませんか?
では参ります。
Contents
過去・現在・未来とは

改めて「今=現在の生き方」を考えるとき、そもそも「過去・現在・未来」がどういったものであるのか、まずは一度整理してみましょう。
一般的に過去や未来を考えるならば、それは時間の流れです。
そしてそれは、過去 ⇒ 現在 ⇒ 未来 この順番で起きています。
当然ながら僕達がリアルに存在する「今」は、やがて過去になり、そして未来への入り口として、その先へと繋がっていきます。
この時間の流れとは誰にでも平等に起きる単なる時の経過過程であり、極端に言ってしまえば、本来それ自体に意味や価値はありません。
しかし僕達は、単なる時の経過でしかないこの時間の流れに対して、「昔は良かった・・」とか、「将来は〇〇でありたい」といった評価や意味付けをすることがよくあります。
そしてこの過去や未来に対する評価や意味付けは、人によってそれぞれ違います。
10人いれば10通りの評価があるでしょう。
この過去や未来に対して評価、意味付けをする際に比べる対象となっているものが「今」であり、「現在のあなたの状態・感情」が、過去や未来に対する評価、捉え方の違いを生む原因でもあるです。
「今」を耐えることが、明るい未来に繋がるのか?

過去・現在・未来の関係性が見えたところで、あなたに質問です。
あなたが、今日を必死に頑張って生きているのはどうしてですか?
- 夢、目標の実現
- やむにやまれぬ事情
- 何となくそうするしかないから
- 惰性
具体的な目標や夢がなかったとしても、誰もが「今」より充実した明るい「未来」を望み、そのために今この時を頑張っているのではないでしょうか。
「今より幸せな未来のために頑張る」
とても抽象的な言葉で、何をもって幸せなのかを定義することは個人差がありますが、「より良い状態を目指す」このこと自体は素晴らしいことであり、何ら問題はありません。
しかし、もし仮にあなたが「今より幸せな未来」のために、「今、この時」を犠牲にしているとしたら、「今、この時を生きる自分自身」に納得感を得ずに生きているのだとしたら、それは本当の意味で幸せへと続く道なのでしょうか?
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「努力は必ず報われる」・・わけではない

「未来の幸せのために。」
たとえ嫌で嫌でしょうがないものでも、耐えて地道に頑張っていれば、いつかは幸せな未来が訪れる・・はず。
と、あなたは思っていませんか?
その根底にある意識は、「努力は必ず報われる」でしょうか。
結論から言えば、残念ながら努力すれば誰もが必ず報われるとは限りません。
当たり前のことですが、報われる人もいれば、報われない人もいるのが現実です。
さらに厳しいことを言うと、現在の自分の行いを「努力」と感じているとしたら、それはいわゆる「報われる」というものから遠ざかってしまっているかもしれません。
努力と感じるその先へ

努力を努力と感じることが何故いけないのでしょうか?
本人が努力と感じている時、それは往々にして嫌々我慢しながらやっている場合があります。
「出来ることならやりたくないのだけれど、しょうがないからやっている」という状態です。
もし努力が必ず報われるものであるならば、誰もが必ず挑戦するでしょう。
しかし何かに挑戦するということは、「報われないかもしれない」という可能性もあるなかで、最初の情熱、気力といったモチベーションを継続していくことです。
それは非常に困難で、ただでさえ困難な作業に対して、嫌々我慢しながら向き合っていくわけですから、少しのつまづきで心が折れて歩みを止めてしまう可能性が高く、報われることはそう多くはないのではないしょうか。
必要なのは納得感
ではどういった場合に報われるのか。
こうすれば必ず報われるといった方法はありませんが、周りから「努力しているように見える状態」であったとしても、当の本人からすれば「努力とは感じていない状態」をつくれる場合があります。
この状態になれた場合、頭の中にあるのは「報われるか、報われないか」ではなく、あくまで「自分が実現したい事」ですから、そうなるといつのまにか勝手に報われることはあります。
もちろんこの状態にたどり着く過程のなかで、ある一定の期間「努力と感じている状態」はあるかもしれません。
努力と感じてはいけないと言いながら、一定期間は感じていても良いの?と疑問が湧くかもしれませんが、同じ感じ方でもその根底にあるものは明確に違います。
それは、「納得感」です。
つまり、そのことに対して自分が納得している ということが重要になってくるのです。
「辛い」と「辛いけど・・」
野球の強豪校に入学し、毎日苦しい練習をしていると想像してみてください。
「皆んながやっているから・・」と嫌々やる練習と、「甲子園で活躍してプロになりたい」と強い想いを抱いてやる練習は同じだと思いますか?
同じ辛い練習でも、前者はただひたすら「辛い」だけですが、後者は辛い中にもそこに何故こんな辛い練習をしているのかという「解(かい)」があります。
つまり、「辛いけど、夢を実現させるにはこの過程が必要だ」といった、辛いだけではなく、それを甘んじて受け入れるための理由があり、それが自分への納得感となるのです。
このように世の中には、苦しいけれど納得して行なえるものもあれば、納得できず、ただ単に苦痛でしかないものがあります。
何をどう感じるかはあなた次第ですが、もしあなたが続けているものが苦痛でしかなかった場合、それを続けることが「幸せな未来」へと繋がっているとは到底思えません。
旅の途中もまた旅の一部

もう一つ想像してみましょう。
今度は、大好きな人と行く、ディズニーランドへの旅を思い浮かべてみてください。
ディズニーランドは最終的な目的地ですから、まずはそこで楽しむのが一番の目的です。
しかしそれは、結果として望むべきものではありますが、二人で目的地を目指し旅するその過程もまた十分楽しむに値するものなのではないでしょうか。
そしてそれが楽しければ楽しいほど、その旅はより一層充実したものになるはずです。
人生の目的もまた同様に、そこを目指すまでの道のりを含めて充実させることで、より悔いのない人生が得られるのではないでしょうか。
しかしそんな楽しいディズニーへの旅も、一緒に旅する人が、あなたの大嫌いな人間だとしたらどうでしょう?
その道中は楽しいからかけ離れていることはもちろんですが、ディズニーに到着した後も、そこに至るまでの気分を引きずり、何とも複雑な晴れぬ気持ちになってしまうのではないでしょうか。
自分の人生、何を目指すかは当然ながらあなた次第です。
人生100年、99年を耐え忍び、最後の1年で望みを叶えた人、結果として望みは叶わなかったが、100年間、納得感を持って毎日夢中になって人生を過ごした人、どちらがより幸せであったと感じるかは人それぞれです。
しかしどちらを選択するにせよ、自身の人生をより悔いのないものにするためには、「今、この時に納得感を持って生きている」という事が、とても大切になります。
そうした納得感のある1日1日の積み重ねが、結果に左右されない悔いのない人生へと繋がっていくのです。
本日のまとめ

確かに、毎日を納得感を持って生きていければ、その集大成である人生に悔いは残らないですよね・・。
でもなかには、あとになってから、「あの時はそう思えなかったけど・・」といったように、「今の自分の力量では、その納得感を得るための意味を見いだせない 」という場合もあるんじゃないですか?
つまり、ある一定期間を経た後でないと、その本当の意味を理解することが難しい類(たぐい)のものです。
例えて言うならば、小さなころに親に言われたような事とか。
その頃は全然理解できなくても、後から「こういうことかっ!」って納得できるものってあると思うんです。
今自分が苦しんでいるものがどういった類のもであるのか、分からない時はどう判断すれば良いんですか?

で、あるか。
それならば、貴様が判断したいように判断せい。それは貴様にしか出来ぬこと・・と言うたところで、その顔つきでは分かっておらぬようじゃの。
確かに生きておれば、苦しいわ、納得はいかぬわで、こんなことに何の意味があるじゃ?と思うことはあるであろう。
そんな時、止めるべきなのか、意味が分かるまで続けるべきなのか?判断に迷うものじゃ。
しかし、分別のつかぬ子供ならいざ知らず、自分というものを意識できるようになったその日から、人はそこへの判断を含めてどういった道を歩むのかを己で決断してゆかねばならぬ。
それが「今」を生きるということであり、貴様が最も注力すべき「今」なのじゃ。
加えて、その決断が自分にとってどういった影響を与えたのか、その意味を知るのは「今」ではない。
それは後に振り返った折に、おのずと答えが出ているものである。
また、もし仮にそれが貴様が恐れるいわゆる「失敗」というカテゴリーに入るものだったとしても、またその失敗を踏まえて次の決断を行なっていくだけじゃ。
以前にも言うたが、その一部を切り取れば「失敗」と思えることも、悔いのない人生という一つの正解にたどり着くための、改善のための一部と捉えれば、その一つ一つの失敗は、正解へたどり着くためのワンピースであり、その一つのどれが欠けても正解へと辿り着くことは出来ぬ。
#パズル Tsuyoshi Kato
この世に絶対の正解も失敗もありはせん。
ありはせぬが、そこに正解であれ失敗であれ、意味を持たせるのが己であるいじょう、己がそれをどう捉えるか、そこに至るまでの生き様が肝心じゃ。

とはいえですよ、自分が最後に正解、不正解を決めるとしても、できることなら正解だったと思いたいです。
どうしたら、そう思えるようになれますか?
そんなものは無い!と言われそうですが、それは無しでお願いします。

こやつ・・・💢。
貴様の言う通り、これをやれば100%再現性のある成功法則というものはない、そこまでは貴様も分かっておるようじゃの。
しかるにそれでも望みを手に入れる可能性を高めたいというのであれば、実現したい世界を強く想い、そこへと続く道の上にい続けることじゃ。
貴様、何となく成功したいというモヤッとした非常に抽象的な目標を持っておるのではないか?
そんなもん例えるなら、立ち止まって夜空を見上げ、いつかあの星まで辿り着きたい!と目の前の道を闇雲に進んでおるようなもんじゃ。
空を見上げてそこを目指して歩いたところで、仮想の世界でもないかぎり天空へと続く道など有ろうはずもなく、その道はあくまで地上の何処かへ続く道じゃ。
あげく、ずっと上を向いて歩いているわけにもいかず、見たり見なかったりしているうちに、どの星を目指していたのかも分からなくなっているのがオチじゃ。
良いか、己の目指すものを実現したいのであれば、何となく見上げていた空の目標を、しっかりとリアルに地上世界へ落とし込め。
さすればその目標への道筋ははっきりと見えてくるはずじゃ。
あの星をめざして歩いていておっても、あの星へは決してたどり着かぬ。
加えて言うに、今の努力が正しいものなのか、そうではないものなのかという事は誰にも分からぬ。
分からぬが、明確な目標を持ち、トライアンドエラーを繰り返しておれば、これをしたら失敗する確率が高くなるという事は見えてくるのではないか?
つまりは、闇雲に何かを頑張っているから良いということではなく、実現したい世界へたどり着くために、今、どの道を歩んでいるのか?という定期的な振り返りという己との対話、そこからの学びの繰り返しが大切なのである。
努力をすれば必ずや報われるというわけではない。
どんなに頑張ったとしても、望む結果にならぬことの方がむしろ多いかもしれん。
しかし、その歩みが今は見えない別の世界への扉を開けてくれる可能性は、大いに秘めているのである。
人生における教材は過去しかない。
過去から学び、今を夢中になって生きる、それが未来を創りだすのである。
夢中になって生きるとは、努力のその先である。
その先へ進んでみよ。
人生における幸福度の総量は今とは比べ物にならぬであろうぞ。






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