
悔いのない人生を!MONONOFUです。
本日は、「であい(出逢い・出会い・出合い)」というテーマで話してみたいと思います。
#とりあえず「出合い」と言う書き方にします。
僕達は日々外的な何かに刺激を受けることで、考え、次の行動を起こすためのきっかけにしたりしています。
「出会い」というと 何か特別な自分を変えてくれるもの というイメージに囚われがちですが、実はそんな「日々の何気ない目に映るもの全て」がある意味で「出会い」であり、そこへの向き合い方が大切なのではないか・・と考えるようになりました。
そんな感じで、今現在僕が思っている事を整理してみたいと思います。
当たり前のことを当たり前のように言っていますが、ちょっとした心の持ちようで、目の前の現実が持つ意味が大きく変わると思いますので、あなたも是非一度考えてみませんか?
では参りましょう。
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Contents
体の行動と心の行動

これまで「信長公」より様々な教え(過去記事参照)を頂いてきましたが、そこから学んだ事を僕なりに一言でまとめてしまうと、
「まずはやれ!そこから一歩踏み出してみなければ何も分からないのだから、まずは行動し後のことは行動しながら考えろ」
ということかなと思っています。
>>>信長公の教えはこちら
ただ「行動」というと何か、物理的に体を動かすイメージがあって、例えば「何か習い事を始める」であったり、「ジムに通って運動を始める」といったことを考えてしまい、結構なハードルに感じてしまうのも事実です。
実はこれが行動するための大きな落とし穴で、なかなか一歩を踏み出せない最初の障害になっているのかな?と思います。
体だけじゃない!心が動くも立派な行動
では、信長公のいう「行動」ができる人間というのは、一部の崇高な目的意識を持った超絶意志の固い人のみが当てはまり、行動をイメージしただけで尻込みしてしまう僕のような「面倒くさがり屋」は、この先ずっと体型以外は変わることが出来ないのでしょうか?
答えはYESでもあり、NOでもあります。
当然このまま自らは何もせずに、誰かや何かがあなたを良い方向へ変えてくれるのを待つというだけの場合の答えはYESであり、体型はもちろんのこと、現状を維持しているように見える自分を取り巻く環境も、徐々に悪くなっていくでしょう。
そこで、そうならないために大切になってくるのが、「心」です。
いわゆる気持ちですね。
さっきも言ったように、「行動」というと実際に体を動かす行動のみをイメージしてしまいますが、実はそればかりではなくて、心が動くことも立派な行動なんです。
つまり、信長公がいう「行動」とは、「現状からの脱却」であり、「変わりたい「今」から、何でもいいから一つ変化させてみろ、全てはそこから始まる」ということなんだと思います。
何でもいいわけですから、それは「通勤の道を変える」、「朝10分早く起きる」といった物理的な行動は勿論、「通期の道を変えてみようかしら?」とか「朝10分早く起きようかしら?」といった些細な気持ちの変化でも良いんです。
というか、そうした気持ちの変化が後の行動に変化を及ぼすことを考えると、むしろそこが始まりであり重要なことなのかもしれません。
気持ちに変化をもたらすものとは?

ではその気持ちは何をきっかけに変化するのか?というと、それが本日のテーマでもある「出会い」なんだと思います。
出会いというと、これまた運命の人といったような何か特別な「人」「こと」を想像しがちですが、勿論(もちろん)そればかりではありません。
物、情報、出来事といった自分が接するありとあらゆる全てが出会いであり、何なら24時間365日、僕達は出会いの中で生活しているといっても良いくらいです。
出会いの中で出会わないを叫ぶ
なのに、これだけ出会いの中で生活しているのにも関わらず、僕達はよく「出会いがない、気持ちが動かされるようなきっかけがない、だから変われない」と言ったことを口にします。
職種や環境の違いにもよりますが、確かに毎日同じ会社に行き、同じ人と会い、同じような仕事をしていますから、そう言いたくなる気持ちも分かります。
分かりますが敢えて言わせて下さい。
それらは本当に同じですか?
屁理屈のように聞こえるかもしれませんが、昨日より今日、今日より明日、人は確実に歳をとります。
人だけではありません、物だって経年劣化しますし、情報も古くなり、出来事は過去になります。
出会う側、つまり僕達は常に好むと好まざると変化していて、出会う対象も常に変化しているんです。
何が言いたいかというと、「変化✖️変化」の毎日が常に同じであるということはなくて、実は僕達は、確実にかつ強制的に自分を変えてくるもののみを価値ある出会いと定義して、それ以外を単なる当たり前のこととして見ようともしていなかっただけなのではないでしょうか。
ダイヤモンドも磨く前はただの石

とはいえ然もない日々が出会いの連続だ!と言われたところで、頭では分かっていてもピンとはこないでしょう。
実際、職場に行っていつもの面々を見て「これも出会い」「あれも出会い」と思ってみても、そこから何かが劇的に変わるわけでもなく、「出会ったから何?だから変わるためには特別な何かが必要なんだ。」となってしまいます。
感じる(受動)のか、感じるようにする(能動)のか
あなたは「カラーバス効果」と言うのを聞いたことがありますか?
カラーバス効果
カラーバス効果とは、ある特定のものを意識し始めると関連情報が自然と目に留まりやすくなる心理効果のこと。人混みや雑踏の中でも、自分に関係があったり興味があったりするキーワードを自然に聞きとることができる心理効果「カクテルパーティ効果」と類似している。
ここで1つテストをしてみますね。
下の画像を「赤色に意識を向ける」ことを意識してみてみて下さい。

どうですか?
「赤に意識を向ける」と前置きしたため、画像の赤い部分がいつも以上に目に入りませんでしたか。
こんな感じで、ごくわずかな部分であったとしても意識を向けることで人はたやすく情報を発見することができるんです。
また、カラーバス効果は色に限定した効果ではありません。
意識した特定の情報に関連する、視覚・聴覚などから得られる情報を無意識のうちに取捨選択して積極的に認識する、という効果です。
つまり、「人は自分が見たいものに意識を向けている傾向がある」ということであり、自分の意識の向け方次第では、今まで 単なる石ころにしか見えなかったものが、実は見方によってはダイヤモンドの原石であったと気づくことが出来るのです。
ちなみにその逆もまたしかりで、自分の意識の向け方次第では「今までなんて下らないものに執着していたのか・・⁉︎」と人生に無駄に気づくこともあると思います。
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本日のまとめ

出会いと聞くと、もっと特別なものを考えていました。
言われてみれば確かに、日々様々なものと出会っていたんだと今更ながら気づきますね。
これからはもっと色々なことに意識を向けて、一つ一つの出会いを大切にしたいと思います。

で、あるか。
殊勝な心がけではあるが、それではまだ半分しか分かっておらぬぞ。
そのような状態で出会ったとしても、今まで何の気なしに見逃してきたものを、「これも1つの出会い」と念仏の様に唱えながら見逃すことになるだけで、さほど今と何も変わる事はなかろう。
良いか、意識を向けて見ることで、今まで見えておらなかったものに気づくということそのものは貴様が申す通りじゃ。
しかし、ことの本質は実はそこではない。
ここで1番大切なことは、見えておらなかったものが見えるようになることではなく、その前段階の何に意識を向けるべきかに気づくこと、すなわち、目の前に起きている事実に対して、自分がどういった心持ちであれば事の本質が見えるのか、日常における心の在り方が最も大切なことなのじゃ。
己がどういった心持ちでもって目の前の事実を捉えるかで、例え同じ出来事であったとしても、そこから得られる結果は全く別の様相を呈するであろう。

え⁉️日々の生活全てが出会いであり、そこから如何に学ぶかが大切なんじゃないですか?
その前段階・・。
つまり、出会うだけでは何も変わらない・・ということですか?

例えばじゃ。
貴様がある部下に仕事を依頼し、結果的にそれが上手くいかなかったとしよう。
もし貴様が「自分は常に正しく、自分以外は全てバカである」というマインドの持ち主であれば、そこから見えるこの出会いは、能力の低い部下が引き起こした単なる迷惑な行為であり、苛立ちや不信感のみを生み出す。
一方で、「誰がではなく、何が起こっているのか?」といった目の前の事実のみに着目するマインドの持ち主であれば、その出会いは、「指示は上手く伝えることができていたのか?」「何処につまづくポイントがあったのか」といった改善のための気づきであり、共に成長するための課題を生み出す。
同じ事象であっても、己の心が何処に矢印が向いているかで、この出会いが与える意味は大きく異なる。
日々の出会いに気づくこともさることながら、その出会いを己にとって如何に価値あるものに昇華させることが出来るのか、つまりは、己の心の在り方、何に価値を置き世の中を見ているのかという貴様自身の軸が大切になってくるのである。
勿論そう言うて今すぐその軸が出来るかと言われればそうではないし、それは百も承知じゃ。
もし貴様が今の話を聞いて、何かしら心が動いたのであれば、それはワシとの「出会い」がもたらした「気づき」であり、その「気づき」は必ず次の新たな出会いを連れてくる。
それは今まで意識もしなかったジャンルの本かも知れぬし、インターネットから流れてくる情報かもしれぬ。
そうして訪れる出合いの連鎖こそが徐々にではあるが貴様を変えるのであり、そのためにも出来るだけ数多くの様々な出会いに触れることが重要じゃ。
そんな然もなき小さな積み重ねが、貴様の中に確かな軸を形成していくであろう。
後に振り返った時、大きな変化をもたらす劇的な出会いであったと言えるものであっても、始まりは取るに足らぬような些末なものよ。
何事も否定するのはたやすい。
まずは受け入れ、そうした考え方もあるのかと、自分の観念の世界を飛び出してみることじゃ。
それもまた一つの出会いぞ。






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