
悔いのない人生を!MONONOFUです。
「万化響(まんげきょう)」
完全なオリジナル造語ですが、読んで字の如く「何万通りにも変化しながら響くこと」を表した言葉です。
一体何を表現するための言葉なのか?
それは「言葉」です。
言葉は「言霊(ことだま)」とも言われ、古くから「発せられたことばの内容どおりの状態を実現する力がある」と信じられていました。
そんな力を秘めているからでしょうか、言葉は時に、ナイフより鋭く僕らの心を抉り(えぐり)、またある時は、真綿よりやさしく傷ついた心を包んでくれます。
本日はそんな言葉、とりわけ管理職と言われるような人の上に立つ人間が発する言葉にスポットを当ててみたいと思います。
全ての方にいえる話しではないかもしれませんが、僕と同じように意識だけ高い系管理職の方や、チームリーダーなど何かしら人の上に立つ事がある方でしたら、これをきっかけに一度ご自身のこれまでを振り返ってみてはいかがでしょうか。
では参りましょう。
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Contents
「人の上に立つ対象となるべき人間の一言は、深き思慮をもってなすべきだ。軽率なことは言ってはならない」

「越後の龍」「軍神」と称された越後(新潟県)の戦国大名、上杉謙信公の言葉です。
軽い気持ちで発した言葉が、予想以上に他人の心を傷つけたり、思わぬ波紋を広げてしまうことは少なくありません。
それは管理職といわれるような、人の上に立つ立場の人間の言葉であればなおさらです。
当然ながら管理職とは部下を管理、指揮する立場にあり、その組織内においてある一定の決定権を持つ職位にいる人間です。
そんな、ある意味において自分の生殺与奪(せいさつよだつ)の権利を握っている人間の言葉ですから、言われた側にとって軽かろうはずはありません。
しかし、当の言った側、つまり僕たち上司の側の人間はそこを深く理解しているでしょうか?
上司と部下、役割は違えど同じ人間
管理職と一般社員、その違いは何でしょうか?
一般的には、「部下を取りまとめる管理職に対し、その管理職の指示に沿って業務にあたるのが一般社員」ということになります。
その他にも、「権限や責任」など業務における意思決定や結果に対する関わり方も違います。
つまり管理職と一般社員はその組織内において、与えられている役割が違うということです。
ここで勘違いしてはいけないのは、違いは与えられている役割であり、その職位の差がその人間そのものの価値を測る評価ではないということです。
あくまで、その組織内という狭い世界の中だけに限定された役割の違いであり、個人としての人間の優劣を評価するものでは決してありません。
お前は何様だ?

改めて言います。
上司と部下の関係は、あくまで所属する組織内における果たすべき役割の関係であり、人間の価値の優劣を表す関係ではないのです。
しかし僕のように認識の甘い人間はその辺を勘違いし、自分ができて当たり前のことができない部下に対し、相手が人間として劣るかのようなマウントをとった発言をしがちになるのです。
自戒の意味を込めて。
普段、こんな言葉を部下に使ってはいないでしょうか?
「やる気ある?」
やる気はあるのになぜか周りに伝わりにくい時だってあります。
そもそも数値として目に見えるものではありませんし、やる気があれば全てが上手くいくわけでもありません。
自分なりに一生懸命仕事を頑張っているけれど成果がついてこない時だってあるでしょう。
そんな時に、「やる気ある?」と言われたらどうでしょうか?
僕なら逆にやる気を失ってしまいます。
気持ちが全く関係ないとは言いいませんが、根性論で何とかなるのであれば、上司は必要ありません。
部下より経験も知識もあるのが上司です。
当然部下より高い視座から物事を見る事ができます。
何故うまくいかないのか?、何が良くなくて、何処を改善すれば良いのか、手取り足取り全てを教える必要はありませんが、障害を乗り越えるためのヒントを与えたり、目的達成までの道筋をイメージさせてあげるなど、実際に行動にうつせるための具体的なアドバイスを与えることが必要です。
「何でこんなこともできないの?」
能力全否定系の言葉です。
このような言葉をかけられると、やりきれない気持ちになります。
上司側としては、言いたいこともあるでしょうが、出来ないから部下なのです。
そして、それを出来るように指導していくのが、上司の役割なのです。
「どうしたらできるようになるのか」「何がいけないのか」という観点で、まずは互いの前提を合わせることからスタートし、同じ目線で寄り添うことも時には必要なのではないでしょうか。
「使えない」
じゃぁお前は使えるのか?
という話しです。
どこからその自信が湧いてくるのか分かりませんが、部下一人使いきれない人間が「使える側」にいるとは思えません。
一体何と比べてその単語を発しているのでしょう?
自分より能力の劣った人間と比較して、自分より使えないと言っているのでしょうか?
自分の思った通りの働きをしないからそう思うのでしょうか?
自分より使えなくて当たり前です。
使えていたら、今頃は部下の方が上司かもしれません。
思った通りの働きをしない。
あなたの使い方が悪いからではないですか?
スマートフォンではありませんが、あなたが使いこなせないだけなのかもしれません。
部下の非を責める前に、指示は適切だったのか、全てを最善にやり尽くしたのかを一度自分に問うてみる事が大切です。
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「その職にふさわしくない者はすぐに処分したりするが、よく考えてみると、その役を十分に務めてくれるだろうと見たのはその主だ。目利き違いなのだから、主の罪は臣下よりもなお重い」

これは、豊臣秀吉公の天下統一を支えた軍師、黒田官兵衛の言葉です。
とはいうものの、部下の働きにイライラして、「使えねぇな」と思う時は多々あります。
そういう言葉が漏れそうになったら思い出してください。
管理職の指示に沿って業務にあたるのが一般社員ですから、当然ながら仕事を任せたのは上司です。
その部下が仕事を完遂できなかったということは、もちろん部下にも責任がありますが、上司にも責任があります。
この時、「責任が重いのはむしろ上司のほうである」と言っているのが、この官兵衛の言葉です。
しかし実際の現場では、上司が部下を選んで採用できるならいざ知らず、大概の場合は能力に関係なく配属された部下を指揮して業務にあたらえざらるを得ないのが現状です。
竹槍を与えられ、アメリカ軍に立ち向かえと言われたって無理なものは無理なのです。
それなのに出来るも出来ないも関係なく、人がいないからやらせるしかない状況で、失敗すれば「見る目がない」だとか、「責任はお前のほうが重い」では立つ瀬がないと感じる人もいるのではないでしょうか。
僕はゴリゴリにそう感じる派です。
しかしここで大事なのは、どちらに責任があるとか、そういうことではないのだと思います。
この言葉の本質は、
「部下に責任を取らせるだけ、お前は上司として部下にコミットできていたのか?」
ということを問うているだと思います。
つまり、「与えられた環境で自分が出来る最善は尽くしたのか?」ということです。
仕事がうまくいったときは手柄を横取りするくせに、何か事が起こったとしても、任命責任を取ろうとはせず、自分を守ることばかり考える人間がいます。
確かに部下の能力不足はあるでしょう。
しかし、しょうがなかったとしてもそれを分って任命したのは上司です。
分っていたなら、それを踏まえてもっと的確な指示や方法はなかったのでしょうか?
そもそもそうした事が起こらないような仕組みを創る事だってできていたかもしれないのに、やりましたか?
厳しいことではありますが、権限を持つとはそうした部下の能力を踏まえた上で、自身が指揮する組織の全責任を負う覚悟を持つ事です。
自分が上司になって部下を持っているかぎり、忘れないようにしたい名言です。
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本日のまとめ

今日のお話しは耳が痛いです・・。

で、あるか。
いつの世も人の上に立つということは生半可なことではない。
大なり小なり、他人の人生に影響を与える立場であることは心せねばならぬ。
まぁ今の時代、寝首をかかれ命を落とす事がないだけマシかのう。
謙信にしろ官兵衛にせよ、敵ばかりでなく、家臣にすら命を狙われかねない時代を生きた者たちが、常に死と隣り合わせの日々の中で得た言葉じゃ。
心に刻むがよい。

はい。
確かに、今の会社の上司が主君であれば、私も確実に裏切ってますからね。
しかし、上司が責任を持つことはそうだとしても、明らかに能力が満たないものがいた場合、そうした部下はどうしたら良いのですか?
寄り添うとか、面倒をみると言っても、会社は学校や家庭ではないのですから、限度っていうものがあると思うのですが・・。

で、あるか。
貴様の言うこといちいち最もである。
組織とはある目的達成のための集団であるからして、その集団が生き抜くための一助としての能力を有しておらぬ、または弊害となるのであらば、互いのためにも決別することも選択肢の一つとなるのはやむを得ぬことじゃ。
しかし結果としてそれを選択することになるにせよ、そこに至る前に貴様が持てる駒の全ての能力を使い切ったのか、一国一城の主として最善を尽くしたのかが重要なのだ。
何故ならそれが貴様に課せられた役割だからである。
1を聞いて10を知るような優秀な者共が揃っておるなら、事は上手くはこんで当然じゃ。
そんな組織であれば、何も上に立つ者が貴様でなくても良かろう。
誰がなっても上手くいくであろうからのぅ。
しかし現実は違う。
10人がおれば10人がそれぞれ性格が違うように、持ち合わせている能力も違う。
そして組織というものがこの世に存在する唯一の価値は、このそれぞれ違う能力を活かしながら事にあたれることなのじゃ。
つまり、能力のコラボレーションである。
人は誰しも得意不得意があろう。
良いか。
不得意が「並」になることで得意が大得意になるならいざ知らず、努力しても不得意がせいぜい「並」くらにしかならぬのであれば、それは時間の無駄じゃ、大した価値は生まぬ。
無能を「並」にするには、一流を超一流にすることよりもはるかに労力を必要とするからじゃ。
じゃが貴様はその不得意をどうにかしようとすることがかりに目を向けておる。
何故、個人にあらずして組織のみが有する強みを活かそうとはせぬ。
何故、各々が持つ強みを今以上に最大化することを考えぬのだ。
それぞれの強みを持っている人間が複数いる組織だからこそ、それを掛け合わせることにより、各々が持つ弱みを無効化できるとは考えられぬか。
置かれた環境のせいにして部下の不得意ばかりを責むるは、あえて出来ぬことに目を向けさせることでマウントを取り、組織における自身の優位性を誇示したいだけの自己満足じゃ。
組織を率いるとは、自身が置かれた環境の中で、持てる駒を全て使いきり目的達成に向けて最善を尽くすことであり、その指揮をとるのが長たる者の役割、つまり貴様に課せられた役割なのである。
貴様にこの言葉を与えよう。
理想を持ち、信念に生きよ。
理想や信念を見失った者は、戦う前から負けているといえよう。
そのような者は廃人と同じだ。
出来る出来ないではない。
その覚悟を持って、ことにあたれ。






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