
悔いの無い人生を!MONONOFUです。
本日も「 嫌い な人間から解放される方法」の続きをお伝えしていきます。
第3回目となる今回のテーマは「 相手のことが嫌い・苦手な時の対処方」。
まだ以前の記事を読まれていない場合は、そちらも併せてご覧いただくと、よりあなたのお役にたてること間違いなしです。
前回の記事はこちら↓
では参りましょう!
Contents
誰にでも 嫌い な人がいる

「自分の周りから嫌いな人がいなくなったら、どんなに毎日が過ごしやすくなるだろう」
そんな風に思ったことはないでしょうか。
ちなみに僕は、その事を考えない日は無いくらい毎日思っています。
nifty社が行った人間関係に関する調査では、約8割の人が「苦手な人がいる」と回答しています。
またその中でも、30代以下及び40代においてその割合は非常に高いものとなっており、若い世代ほどその傾向は強いようです。
生まれも育ちも違うわけですから、合わない人がいるのはある種当たり前のことといえば、当たり前なのですが、当たり前だからといって「はいそうですか」と、そのまま流せるほど簡単な問題ではありません。
むしろ答えのない永遠のテーマと言っても差し支えのない、一度ハマってしまうと中々抜け出せない厄介な問題です。
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なぜ人には「 好き 」「 嫌い 」があるのか
職場に限らず、人がたくさん集まる場に参加すると、そのメンバーの中には「好きな人」もいれば「嫌いな人」も必ずといっていいほど現れます。
全員を「好き」ということはまずありえませんし、逆に全員を「嫌い」ということもないでしょう。
そもそもそこが、自分にとって望まない集まりであれば、そこに集うすべての人に対してネガティブな感情を抱くことはあり得ると思いますが・・。
ではなぜ、私たちは、「好き」「嫌い」を判断してしまうのでしょうか。
人と初めて会ったとき、「この人好き」「この人嫌い」と、まず相手の好き嫌いを瞬時に感じてしまうことがあるかと思います。
特に相手の何を知っているわけでもなく、ましてや会って一言も会話をしていないにも関わらずです。
いわゆる「パット見」という奴です。
「 好き 」「 嫌い 」は瞬間に決まる
それは、脳には「好き」「嫌い」を、無意識に判断してしまう仕組みがあるからです。
脳には「扁桃体(へんとうたい)」と呼ばれる部分があります。
これは、危険を察知して赤信号を出す部分です。
ある事象が目の前に起こったときに、「良いか悪いか」「安全なのか危険なのか」ということを瞬時に判断し、危険な場合は脳の中で赤信号を出すのです。
野生の動物も自分の敵と遭遇した場合、瞬時に対応を取れるように信号を出します。
脳と体全体に警戒信号を送り、身を守る準備をさせる司令塔が扁桃体なのです。
この扁桃体はさまざまなものについて、瞬時に安全か危険かを判断しています。
たとえば、外を歩いていて、耳元でブーンッという羽音が聞こえたとしましょう。
「ハチだっ!!」と叫ぶ前に、体をかがめるなど刺されないための回避行動をとりますよね。
これは、扁桃体が「ハチ=危険」という警報を出したために、考えるよりも先に一瞬で体が動いたのです。
扁桃体は、0.02秒という一瞬の速さで「安全 or 危険」を判断すると言われています。
「じっくりと見定めて考える」のではなく、瞬間的に、ほとんど脊髄反射的に「安全 or 危険」を判定しているのです。
「さてさて、ブーンッと音が聞こえたがこれは何かな?」
なんて悠長にかまえていたら、場合によってはフルボッコにされてしまいます。
これは、私達の「好き」「嫌い」の判定においても同じことが言えます。
人と対面した時に、この相手は自分に対して好ましい人間なのか、あるいは好ましくない人間なのかを、扁桃体が瞬間的に判断しているのです。
いわば自分の身を守るための、一種の防衛本能ともいえるでしょう。
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これまでの生き方が「 好き 」「 嫌い 」を決める
こうした瞬間の判断により、まずは脳が勝手に「好き」か「嫌い」のレッテルを貼ります。
生き物のしくみとしては、何より生存が優先されます。
未知の生き物(相手)が、自分にとって安全な存在のか、はたまた危険なのか?
自分のこれまで生きてきた人生の経験則をフル動員して、相手の見た目や表情、醸し出す雰囲気など、さまざまな特徴をとらえて、「好き」「嫌い」を総合的に判断するのです。
会ったばかりや、付き合いが短いなど、相手に対する判断の材料が乏しいという場合においては、頭でいくら論理的に考えようとしても、自分にとって「安全」なのか「危険」なのかは判断できません。
ですので、良くないことのように言われる事もありますが、いわゆるパット見の「好き」「嫌い」といった感情に任せることは、ある意味において理にかなっており、何気に扁桃体がけっこう的確な判断をしてくれているのかもしれません。
瞬間的判断はあくまで仮の判断

ただここで一点気をつけておかなければならないのは、脳が最初に貼ったレッテルは、あくまで本体(自分)に危険が及ばないための、応急処置的な仮の判定であり、それが確定事項だと決めつけないことです。
先程の例で言えば、ブーンッという羽音が実はハチではなく、ハエであったり何か他の虫であったということがあります。
ただその瞬間というのは、「何の虫の羽音だろう?」とじっくり観察する暇はありませんので、あくまで最悪の事態を想定して、瞬間的に判断を下したのです。
仮にその判断が間違えていたとしても、本当にハチであった場合のリスクに比べれば大した問題ではなく、その判断が正しかったのか、誤っていたのかは、一旦危険を回避した後でじっくりと考えても遅くはないからです。
このように、実際に目の前で起ったことであれば後から事実を検証し、その判断についての成否を見直すことは比較的容易なのですが、ここに「決めつけ」が入り込むと一転して難解になります。
相手に対して、応急的とはいえ一旦「嫌い」と判断してしまうということは、今度は嫌いという偏見で相手を見てしまうということにつながります。
その結果、余計にその相手の悪いところばかりを探してしまい、さらに嫌いになってしまう危険をはらんでいるのです。
嫌いな点ばかりがたくさん見えてきて、「本当に嫌い」になってしまう負のループの始まりです。
ですから、よっぼど明確な理由がない限り、特に初対面の相手など、実際にその相手のことが何も分からない状態では、「現時点では何となく嫌いかも」くらいの感覚にとどめておくのが無難です。
ホントに嫌なやつだと断定することは、後からでもできます。
「 嫌い 」の感情は見抜かれている

また、瞬間的な判断だけに頼るマイナス面として、こうした相手に対する「嫌い」の感情はそのほとんどが、確実に相手に伝わってしまうということがあります。
「別に言葉や態度に出さなければよいのでは?」
と思う人もいるかもしれませんが、ことはそう単純なものではありません。
人間のコミュニケーションには「言語コミュニケーション」と「非言語コミュニケーション」があります。
言語と非言語で相違なるメッセージが発せられたとき、相手は非言語的メッセージを優先して受け取る傾向があることが、心理学の実験からわかっています。
あなたにも経験があるはずです。
「この人は、口ではああ言ってるけど、腹の中では何を考えているか分からない」
と感じたことが。
つまり、「〇〇さんってすごいですね。」とか、「自分は〇〇さんの味方です。」とヨイショして口からでまかせを言ったとしても、普段の何気ない態度や反応の方がリアリティをもって相手に伝わってしまうのです。
人間は好意に対しては好意で返しますが、悪意に対しては悪意で返すという傾向があります。
口では言わないまでも、あなたが相手を嫌いと思えば思うほど、相手は非言語的なサインを無意識に察知して、あなたに対して良い感情は抱かなくなるでしょう。
そして、お互いの「嫌い」の感情が連鎖反応で増幅していった結果、気づいた時にはゴリゴリに凝り固まり、いかんともしがたい絶対譲れない感情になってしまっています。
こうなると元に戻すのは至難の業となります。
このように、「嫌い」な感情は、「口に出さなければいい」というものではないのが厄介なところです。
嫌い は 嫌い のままで良いけれど・・
では、この厄介な問題を解決するためにはどうすればよいのでしょうか。
それには「嫌い」という感情を少しづつでも手放していくしかありません。
「それができたら苦労しないよ」
確かにそのとおり。簡単なことではありません。
誤解のないように申し上げておきますが、「嫌い」という感情が悪いことだとか、「嫌いな人を好きになれ」 ということではありません。
また、「どんな嫌な人にも少しは良いところがあるんだから、そこをしっかりと見て」と言ったようなありきたりの事をいうつもりも一切ありません。
嫌いなものは、はっきりと嫌いのままで構わないと思っています。
むしろ、嫌いなものを無理をして好きと言うことの方が、精神衛生上、問題があります。
ただ、そうした「嫌いな人間」がいることで、あなたの毎日が憂鬱なものになっているのであれば、その状態は改善するべき問題です。
嫌い に余計な感情は付け足さない

ではどうやって改善していくのか?
まずはあなたの好きな食べ物と、嫌いな食べ物を教えてください。
いくつか頭に浮かんだでしょうか?
好きな食べ物はさておき、ここでは嫌いな食べ物に注目していきます。
あなたはこの嫌いな食べもののことを四六時中考えて生きていますか?
おそらくは、嫌いな食べ物は嫌いなままで、普段なにも意識することなく生活しているのではないでしょうか?
「おいおい、嫌いな食い物は食べなければいいだけだけど、人間関係はそうはいかないんだぜ。こちらがそれを望んでいなくても、毎日顔を突き合わせなければいけないんだ。同じようにいくかよ💢」
いきません。
いかないことは重々承知のうえですが、原理は同じことです。
嫌いなものは嫌いなままで、それ以上の感情を排除して受け入れるのです。
誰も「ピーマンをこの世から抹殺してやる」とか、「人参を酷い目にあわせてやりたい」なんて思いませんよね。
つまり、「嫌いだから〇〇してやりたい」とか「あいつなんか〇〇なればいいのに」といった、「嫌い」にもれなくついてくるオプション感情をつけず、ただ「嫌い」と思っておくのです。
まじりっけなしの、エクストラバージン KIRAI(嫌い) です。
無理に「嫌いと思うのをやめよう」と思うことも必要ありません。
そんな正論は忘れてください。
「嫌い」を解決しようとすらしなくていいのです。
ただただピュアに、「嫌い」と思っておくだけです。
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自分でどうにも出来ないことは手放す
そもそも、自分が「嫌い」と思っているだけで、実のところ相手があなたのことをどう思っているかはわかりません。
もしかしたら、あなたのことが大好きかもしれないし、何とも思ってないかもしれないし。
相手への思いも、相手からの思いも、私たちにはどうしようもない部分です。
だったら、「思い通りにはならないものだ」とあきらめるしかありません。
無駄な執着は、潔く手放してしまいましょう。
もしかしたら、時間が経てば関係も変わってくるかもしれません。
いずれにせよいつかは会わなくてすむ日がきます。
そう思うだけで、少し心が軽くなりませんか?
「嫌だ嫌だ」と思うと、その思いにこだわり続けてしまいます。
「嫌いなら嫌いなままでいい」と考えて、それ以上の相手への思いは忘れてしまいましょう。
本日のまとめ

おっしゃていることは頭では分かるのですが、正直なかなか割り切れないというか、どうしても余計な感情を拭い去ることができません。

うむ。「はいそうですか」とすぐさま納得できるのであれば、そもそも大した問題でもなかったのであろう。
人間関係、こと、嫌いな感情を含んだ関係というものは、一朝一夕に片付く問題ではあらぬ。
とはいえ、何もしなければ何も変わることはなく、ただただ環境が変わることを祈ることしかできまい。
貴様は腹が減ったら、「腹が減った。何か目の前に出てきて下さい」と祈るのか?
そうすれば自分の願いが通じて、食事が目の前に出てくるのか?
どこぞに食いに出かけるか、買うなり作るなりしなければ、貴様の願いはいつまで経っても叶わないのではないのか?
何においてもそうであるが、何かを変えたいと思ったとき、そこには必ず自身の行動が伴う。
行動抜きにして、何かを変えるということは不可能なのじゃ。
これは貴様だけではない、ワシも含めた全ての人に言えることじゃ。
確かに何もせずとも、環境は時間の経過とともに変わるであろう。
ただそれは、貴様以外の周りが変わっていっているのであって、貴様が何かを変えているのではない。
誰かの「変える」という意思によって変わっていく環境に、ただ貴様がいるだけじゃ。
自分の望む環境に変われば良いが、そうならぬ事もある。
まさに一か八かの博打じゃが、それで良いのか?。
それにのぅ、何かが許せない人というのは、相手を許せないのではなく、自分自身にわき起こってくる、「許すことのできない感情」に囚われているということもある。
となれば、それは相手の問題ではなく、自分自身の問題じゃ。
いずれにせよ、「劇的に考えを改めろ」と言うておるのではない。
「そうした面もあるのかもしれないな」と自分に対する気づきを与えることが大切なのじゃ。
そうした気付きは必ず貴様の有意識、無意識に何かしらの変化を与える。
「そんな事・・」と思うかも知れぬかが、そうした小さな一歩を踏み出すことが、後に振り返った時に、己にとって大きな転換期になっているものぞ。






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